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小諸市の御牧いちごはいちごの元祖!これを読めばいちご通!?

御牧いちごアイキャッチ 野菜・くだもの

今回ご紹介の長野県の地元野菜は、小諸市の御牧いちごです。
御牧いちごは、長野県小諸市で誕生したいちごです!!
その名も「御牧いちご」
今回、ご紹介する「信州の伝統野菜」は「御牧いちご」です。
寒冷で雪が多い長野県でいちご??と思う方もいるかと思います。
その通りなのです。
いちごの生産量を県別でみると…

いちごの生産量
栃木県    1位   
福岡県    2位      
熊本県    3位      
静岡県    4位      
長崎県    5位      
長野県    25位   

そう、長野県はちょうど中間点。多くもないですが少なくもない。
そんな長野県でいちごの生産?!と私も長野県民として少し不思議でした。
伝統野菜に認定されるほど昔から栽培しているの?と思ってしまうことも無理ないのです。
しかもなんとそのいちごは今作られているいちごの祖先といわれているいちごなのです。
そんな歴史深い御牧いちごについて深堀りします!!

イチゴは分類的には「野菜」となりますが、この記事では「果物」として記載させていただきます。
ちなみに、イチゴは農林水産省が生産や出荷の統計を取る際、「果物」として部類されるそうです。
う~んややこしい((+_+))

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御牧いちごの歴史

御牧いちごの歴史を紐解いていきます。
いちごはさまざまなスイーツに用いられ、鮮やかな紅色がとても映えます。
ケーキにアイス、もちろんそのまま食べても美味しいいちご。
今では四季を通じて食べれるようになったいちごですが、日本でいちごが食べられるようになったのはいつごろからかご存知でしょうか?

日本ではなんと石器時代にはすでにいちごが食べられていたようなのです。
といっても、その時代に食べられていたのは、今の様ないちごではなく、野生のいちご「野いちご」だったようです。
石器時代は木の実などの甘い食べ物はご馳走だったのではないかと言われています。
そして、日本で本格的にいちごの栽培が始められたのは明治5年からと記録されています。今からおおよそ200年ほど前からです。
そして、小諸市でいちごの生産が始まったのは明治時代中期といわれています。
当時は個人の栽培しかされていなかったいちごをいち早く「生産」し、商いにしたと言われています。

小諸市は、冬はとても寒く、朝晩はマイナス10度以下になる事もあり、冷害にあう事も多く、米の収穫量は不安定で、農家の方々の生活はとても厳しかったそうです。
農家の人々の生活を安定させたい!そして、農家の人々の生活を豊かにしたいと思い、そこで立ち上がったのが塩川伊一郎(しおかわいいちろう)だったのです。

[ふきだし set=”カノナ”]

カワイイの代表のイチゴですが、実は日本に入って来た時、その真っ赤な色が血を連想させるということで、今のように食べることはせず、白い花から赤い実が育つことを愛でる観賞用の植物だったようですよ。
現代では美味しくてかわいいいちごですが時代によって見方が全く異なるんですね~Σ(・ω・ノ)ノ!

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御牧いちごは桃栽培と桃の缶詰工場から始まった!?

まず、塩川さんが目を付けたのは「桃」だったのです。
塩川さんや塩川さんの想いに賛同した8人の農家さんにとっても初の試みでもある果樹栽培。
試行錯誤しながらそれでも順調に育ち、3年目には桃は実をつけることができました。
その桃を、長野市をはじめ軽井沢町などにも販売、そして東京にも販路を拡大しました。
品質も良く味も良かったので始めは高値で買い取ってもらえていたのですが、当時は今ほど物流が発達していなかったため、傷みやすい桃は次第に値を下げられてしまいました
塩川さんたちはこのままでは生の桃で勝負できないと思い、桃の加工に取り組むことを決断しました。
それが、桃の缶詰だったのです!
ですが、ここでも壁が…
なんといっても桃は『旬』が短い!
桃の旬は一年の中で数カ月。せっかく工場を整備しても稼働できる期間が短くなってしまうのです。
せっかく整備しても宝の持ち腐れになってしまう…そこで、塩川さんが目をつけたのが「いちご」だったのです。

小諸市御牧いちご

なぜ小諸市でいちご栽培!?

しかし、なぜ数多くある果物から「いちご」を選んだのでしょうか!?
先にも書きましたが小諸市は標高が高く、600mから2,000mに位置していて、冬の寒さはとても厳しいですが、夏は逆にそれ程高温にならず、そして湿気も少なく過ごしやすくなっています。
また年間を通して降水量が少なく、日本国内でも抜群の晴天率を誇ります。
そんな昼夜の寒暖差があることが特徴の小諸市は、実は、いちご栽培にとても適した風土だったのです。
そんな気候だったからこそ小諸市でいちご栽培が可能だったのです。
そして、時同じくして河辺村、現在の小諸市河辺で素材となるいちごが発見されたのです!
御牧ケ原という場所で野生のいちごの群生が見つかったのです。
このいちごは鮮やかな赤色をしていて、小粒で酸味も強かったため加工品、ジャムにぴったりでとても評判が良かったそうです。
そうして塩川さんたちはいちご栽培、いちごの加工産業に着手したのです。
これが、御牧いちごの始まりといわれています
そして、この御牧ケ原は「日本でいちばん最初にいちごの生産が始まった地」といわれています。

[ふきだし set=”カノナ”]

この御牧ケ原にあるバス停留所には『いちご平』があります。
現在は当時のように盛んにいちご栽培は行われていませんが、当時、盛んに栽培がおこなわれていたことが分かる貴重なものですね。

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日本のいちご生産のはじまりの地となった小諸市

この御牧ケ原台地は、知る人ぞ知る「日本でいちばん最初にイチゴ生産がはじまった地」とも言われています。
御牧ケ原周辺でも開拓が活発になり、時代が進むにつれてこの御牧ケ原のいちごが注目されるようになっていきました。
小諸市の周辺では缶詰を造る記述が発達しているのと同時に、ジャムに加工する技術も発達してきました。
そのためジャム専用のイチゴ栽培が定着し、最盛期の昭和初期にはいちご農家であふれていたそうです。
その優れていた御牧ケ原の「いちご平」の原種を、昭和14年に長野県農事試験場が御牧ヶ原1号及び2号と命名しました。
これが日本各地の試験場で品種改良の『親株』となりました。

いちごの祖先と言われる御牧いちご

この「御牧いちご」は現在栽培されている数多くのいちごの品種の祖先になっているのではないかと言われています。現在いちごは、さまざまな品種改良によって日進月歩を続けていますが、この「御牧いちご」は、その原種のひとつなのです。
しかし、昭和30年代頃、時代が変わり、御牧ヶ原周辺の缶詰工場やジャム工場は徐々に姿を消していってしまいました。
やがて「御牧いちご」の栽培も姿を消していきました。
そんな中、一旦はなくなったかと思われた「御牧いちご」を見つけ出し、再びこの小諸市をいちごの産地にしようという意欲溢れる生産者さんが現れ、今も発展に貢献しています。
また、「御牧いちご」は長野県の「伝統野菜」に指定され、小諸市の「小諸ふるさと遺産」にも認定されました。

[ふきだし set=”カノナ”]

日本で登録されているイチゴはなんと約300種類!
とちおとめ、さがのほか、あまおう、スカイベリー、さちのか、紅ほっぺ、章姫、ゆめのか、初恋の香り(白いちご)、淡雪(白いちご)、と書ききれないほど種類が多く、一般家庭でも数多くの品種を食べる事が出来るいちご。
そして、こんなに品種が出ていてもまだまだ新しい品種が開発されているのです。
みんな大好きないちご♪

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御牧いちごは日本のジャムの先駆者!?

御牧いちごのいちごジャム

突然ですが、4月20日はジャムの日ということを知っていましたか?
実は「御牧いちご」、そして、小諸市にゆかりのある記念日です。小諸市はいちご生産発祥の地とともに、ジャム製造発祥の地でもあるのです。
言わずもがな、そのいちごは「御牧いちご」、ジャムは「御牧いちご」で作られたものなのです。
明治43年(1910年)4月20日、長野県知事から明治天皇へジャムが献上されたことから、4月20日がジャムの日となったそうです。
その献上されたジャムをつくったのが塩川伊一郎さん父子なのです。
塩川さんたちは、全国に先駆けて品質の高いジャムを生産し、生産地でもある小諸市は日本のジャム製品の発祥の地であるとも言われるようになりました。
そしてここでは、日本で初めての缶詰イチゴジャムも作られたと記録されています。
塩川さんたちの頑張りがなければ御牧いちごの発見も日本のジャムの発達もなかったことでしょう。

ジャムとコンフィチュールの違いって?

ジャムは英語、コンフィチュールは仏語という言語の違いがありますが、実は調理方法も異なります。
一般的にジャムは果実や野菜などに砂糖などを加えてゼリー化するまで加熱したもの。
コンフィチュールは砂糖で果汁を浸出させて果汁だけを煮詰めた後に果肉をつけるもの。
そのためコンフィチュールの方が甘みが弱く、サラッとした仕上がりになっています。
また、ジャムは糖度(可溶性固形分)が40度以上と定義されています。

御牧いちごが育まれた小諸市について

「いちご生産発祥の地」と言われる小諸市は雄大な浅間山の麓にあり、千曲川が流れる高原の街です。
北国街道の宿場でもあり、かの昔は大名の参勤交代や善光寺参りの人々でとても賑やかでさかえた歴史が今の時代も面影を周辺で見る事が出来ます。
現在の小諸は高原の気候を生かして加工用ブドウ園やハーブ園などを盛んに行っており、見学や花摘み体験がとても人気です。
また、高原を散策したり、星見体験をしたりと自然を満喫できるスポットがたっぷりある小諸市なのです。

ここでは、そんな小諸といえばここという観光スポットをご紹介します。
※ワタクシの独断と偏見でありますことをご紹介くださいませ…

小諸市一人気のスポット小諸城址懐古園 (コモロジョウシカイコエン)

桜、紅葉の名所としても全国的に有名です。小諸城跡で、現在は「懐古園」と名前を変えて、住民だけではなく、様々人々から心安らぐ憩いの場として親しまれています。
動物園や遊園地が併設され、大人も子供も楽しめる城址公園も併設されています。
春の桜、秋の紅葉を見に一度は訪れてるべき場所です。

浅間山

 浅間山は、標高2,568mの活火山です。
世界有数の活火山としても知られています。山頂からは今なお噴火活動の煙が上がっているのが見ることができます。その雄大な姿は遠くから眺めるだけでも息を呑むほどの美しさです。
浅間山は四季折々の自然が魅力的で、日本アルプスなど様々な山々が一望でき、絶景の一言です。

浅間山は活火山です。火山活動レベルに応じた入山規制が行われ、噴火警戒レベルによっては登山規制がつきますので、お越しの際はお気を付けください。

菱野温泉郷の不動の滝

滝大好きなカノナです!この菱野温泉郷の不動の滝もおススメの一つです。
何といっても秋に行くと滝と紅葉のコントラストがとにかく素晴らしいのです!!
落差は15mほど。マイナスイオン浴びまくってください!
菱野温泉郷の不動の滝は冬になると氷柱ができるそうです。その高さ10m以上!
冬道の運転に自信が無いのでまだ行けてはいないのですが、一度は行って見てみたい場所です。

小諸市の御牧いちごはいちごの元祖!これを読めばいちご通!?まとめ

御牧いちごについて、いかがでしたか?
御牧いちごが日本のいちごの元祖(祖先)だったということには驚きを隠せません。
日本のいちごはとても甘く大粒ですが、その祖先が小粒で酸味の強い御牧いちごだったとは…
しかも、御牧イチゴはもともと御牧イチゴだけを目的として栽培されたわけではなかったことにさらに驚きです。他の伝統野菜とは歴史が少し違っている感じがとても面白いなと思ったカノナでした。

カノナもジャムやコンフィチュールを作ることが好きなのでこの御牧いちごでいちごジャムやいちごコンフィチュールを作ってみたいものです。
今、市場に出回っているイチゴももちろん美味しいのですが、甘味が強いので砂糖とのバランスが難しいな~感じています。
素材本来の酸味を感じつつも甘酸っぱい『元祖イチゴジャム』を作ってみたい!!
近々、現在も頑張って栽培して下さっているいちご農園さんにお伺いしてみたいと思っております。その時の感想などもまた綴っていきますね。
いちごのルーツでもある御牧いちごが今なお元気に生産されていることがうれしくて仕方がないカノナでした。

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